「君の名は。」とかいうゼロ年代エロゲーの時系列まとめ-【第1章】 複数世界線の採用

 さて、長すぎるまえがきを読んで下さった皆様、ありがとうございました。

 ここからは本題として、「君の名は。」時系列についての解説および補足を行います。まず本章では、時系列解説の前提として、togetterにおいても異論が散見された、私が本作品の時系列において「複数世界線」という概念を採用した理由について解説致します。

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※PDF版↓

http://twitdoc.com/view.asp?id=320611&sid=6VDV&ext=PDF&lcl=kansyoumazover4.pdf&usr=miya38oscar

 

 いわゆるタイムリープ物における時系列の構成としては、「ある時点をセーブポイントとして(主人公が「未来」の記憶を保持したまま)そこへ時間が遡る形」(単一世界線)と、「時空が複数の世界線に分かれ、異なる世界線に分岐することで時間が遡る(遡ったように見える)形」(複数世界線)の二種類が存在します。私はSFにはあまり詳しくないため、SF界隈で各々がどのような呼称で表現されているかは分かりませんが、過去の名作で喩えるならば、前者が「時かけ型」、後者が「シュタゲ型」と捉えて頂ければ理解が早いかと思われます。

 「君の名は。」時系列の作成に当たっては、上記の時系列ver.4からも分かるように、私は後者の複数世界線を採用しています。ただ、正直に言うと、「君の名は。」最新版の時系列ver.4の作成を終えて、(おそらく)これ以上のものは作れないだろうという境地に達した今となって、実は単一世界線で時系列を作成することもできたのではないかとも考え始めています。その、単一世界線での時系列作成の可能性について解説するには、私が作成した複数世界線における解釈を踏まえる必要があるため、最終章で取り上げることとします。本章ではひとまず、上記時系列ver.4を作るまでの私が複数世界線を採用した理由について解説します。

 当初、本作品の時系列を単一世界線として捉えた場合、私はまず以下の三点において矛盾が発生すると考えました。

 1.(瀧だけでなく)三葉が「未来」の記憶(自身が彗星災害で死亡した際の記憶)を保持したまま、2013年10月4日片割れ時に遡っている。

 2.2013年10月4日片割れ時で自身の体に戻り、三葉と別れ失神した後の瀧が目を覚ますのが2016年10月x日の夜である。単一世界線で解釈した場合、この間3年間の瀧の動向が空白期間となり、整合性の取れる説明ができない。

 3.瀧が2013年に遡り三葉の命を助けてしまった場合、入替りは三葉の命を助けるために発生するものであるから、「二週目の(タイムリープ後の)」瀧が2016年において三葉と入替ることがなくなり、二週目の瀧が2016年10月x日の夜に糸守の山頂にいることは起こり得ない。

 

 しかし、これらの私がかつて考えていた「矛盾点」については、複数世界線を作成するにあたり私が確認・考察した事実と解釈によって、現在では矛盾を解消することができると考えています。

 まず、1については本作品の主人公を瀧と三葉両名と捉え、時間の巻き戻りを媒介する口噛酒の製作者が三葉であること、また時間の遡り自体が、三葉に宿る宮水の力に因るものと考えれば、瀧と同様に三葉が記憶を保持したまま過去に戻ることは矛盾しないという説明ができます。

 また、2に関しては、詳しくはβ世界線への分岐を解説する章で取り上げますが、「実は瀧の肉体は一度も2013年に戻っていない」という事実を確認することで、そのような空白期間は発生しえないと結論付けることができます。

 そして、3については、

 1)二週目の瀧にも入替りは発生しうる

 瀧が時間を遡った先は2013年10月4日であり、この前日の2013年10月3日の朝に三葉が目覚めるまでの間に、三葉の3年後の瀧への入替りは完了している(作中の描写から、2013年10月2日の夜~3日の朝にかけての睡眠中に起きていた入替りが、三葉にとっては最後の自然発生的な入れ替わりである奥寺先輩とのデートの約束だと考えられる)。すなわち、瀧が2013年10月4日に時間を遡ったとしても、三葉が入替りを行った過去は改変しておらず、三葉の入替りが発生しているということは自動的に2016年の瀧に入替りが発生するということになる。

 2)入れ替わりが発生せずとも、瀧を糸守へ向かわせることはできる
「瀧が三葉との入れ替わりを経験していなくとも、未来のある時点での行動が避けられない運命として定まっている場合に、タイムパラドクスを避けるために現在の行動が『未来のある時点』へと誘導される」

 という解釈を行うことで、瀧が2016年10月x日の夜に糸守の山頂にいることが矛盾しなくなります。私が現時点で、「単一世界線での時系列作成も可能である」と考える理由は、以上のようなものになります。ただ、それ(単一世界線での「君の名は。」時系列)については、あくまで今後の時系列作成への課題とし、本論ではあくまで、上記「君の名は。」時系列ver.4に基づいた解説を行うものとします。

 

 そして、ここからがようやく本題となるのですが、ここまで分かっていても尚、私が複数世界線での「君の名は。」時系列作成にこだわりたい理由としては、以下の二点が挙げられます。

 1.瀧が糸守高校の校庭でスマホの日記を開いた瞬間に、スマホ内の三葉の日記が消える理由が、単一世界線での解釈では説明できない。

 三葉が2016年に存在しえないから日記が消えると考えた場合、三葉の日記は書いたそばから(少なくとも翌日に瀧がそれを見ることはできない期限で)消えていかなければ説明がつきません。しかし、瀧が糸守の壊滅を目の当たりにしたあの瞬間まで日記が残っており、そこから一気に日記の消去が起こるということは、あの瞬間に何らかの過去の改変、あるいは世界線の分岐が発生したとしか考えられません。複数世界線で作成した「君の名は。」時系列ver.4では世界線の分岐にその答えを求めていますが、単一世界線で考えた場合にはこの問題に有力な答えを見出すことができていません。

2.複数世界線という解釈が、本作品における「組紐」及び「ムスビ」という概念に合致している
 作中での宮水一葉の台詞に「よりあつまって形を作り、捻じれて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それがムスビ、それが時間」というものがあります。宮水で神の技を顕す「組紐」という複数の糸を絡め作る工芸品、そして時間のメタファーである糸が「寄り集まり」「捻じれて絡まる」「戻って途切れまたつながる」という表現から考えるに、私は本作品の時系列には複数世界線が似つかわしいと考えています。

 

 さて、以上が本作品の時系列において私が複数世界線という概念を採用した理由となります。結局、時系列自体の解説には全く触れず終わってしまいましたが、ここまで前置きしないと本論に入れないのが「3年の時を隔てた入替りをしつつ過去でヒロインの命を救いつつヒロイン(とついでに街の住民)の生死以外の要素は何も改変しない」という新海誠の変態ラブストーリーです。

 これならいっそのこと瀧君がガンバスターに乗って彗星を迎撃し糸守の(街の)破壊含め色々な未来を改変してくれた方がよほど分かりやすい時系列になったと思いますが、それはいずれ製作されるであろう実写版「君の名は。」に委ねるとして、次章(たぶん今週中)からはちゃんと時系列自体の解説を行いますので宜しくお願いいたします。

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